私はこの「犬の聖歌」を知り、愛犬の老犬介護とは今までの感謝とお礼だと思ってます
長い人生色々あり、辛い時、苦しい時、泣きたい時、愛犬を抱きしめていませんでしたか?
泣いてたら顔をペロペロ舐めて励ましてくれましたよね…
「犬の聖歌」
(この世の中では親友でさえ、あなたを裏切り、敵となる事がある。
愛情をかけて育てた我が子も深い親の愛を すっかり忘れてしまうかもしれない。
あなたが心から信頼してる最も身近な愛する人も その忠節を 翻すかもしれない。
富はいつか失われるかもしれない。
最も必要とする時に、あなたの手にあるとは限らない。
名声はたった一つの思慮に欠けた行為によって 瞬時に地に堕ちてしまうこともある。
成功に輝いてるときは、ひざまずいて敬ってくれたものが
失敗の暗雲があなたの頭上をくもらせた途端に 豹変し、
悪意の石つぶてを投げつけるかもしれない。
こんな利己的な世の中で決して裏切らない恩知らずでも不誠実でもない
絶対不変の唯一の友はあなたの犬だ。
あなたの犬は、富める時も貧しき時も健やかなる時も病める時も 常にあなたを助ける。
冷たい風が吹きつけ、雪が激しく降る時も
主人のそばならば冷たい土の上で眠るだろう。
与えるべき食物が何一つなくても、
手を差し伸べれば キスしてくれ
世間の荒波にもまれた傷や痛手を優しく舐めてくれるだろう。
犬は貧しい民の眠りを、まるで王子の眠りのごとく守ってくれる。
友が一人残らずあなたを見捨て立ち去っても、犬は見捨てはしない。
富を失い名誉が地に堕ちても、犬はあたかも日々天空を旅する
太陽のごとく、変わることなくあなたを愛する。
たとえ運命の力で友も住む家もない地の果てへ追いやられても
忠実な犬は共にある事以外何も望まず、あなたを危険から守り敵と戦う。
すべての終わりがきて、
死があなたを抱き取り骸が冷たい土の下に葬られる時
人々が立ち去った墓の傍らには、前脚の間に頭を垂れた気高い犬がいる。
その目は悲しみにくもりながらも、油断なく辺りを見まわし
死者に対してさえも、忠実さと真実に満ちている。)
老犬介護は大変ですが、最期まで看取るのが飼い主さまの責任でもありますが、頑張りすぎ共倒れになりそう、疲れてしまった時など、ポエムと言うホームを思い出して頂けたら幸いです
保健所に連れて行くのが最期を迎える愛犬の場所ではないと…私は思ってます